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姫路城にまつわる伝説

  • 国宝・世界文化遺産 姫路城をラベルにデザインした姫路城サイダー

世界文化遺産であり国宝でもある姫路城にまつわる伝説をご紹介します。

播州皿屋敷の舞台

姫路城の城内の上山里丸と呼ばれる広場にある「お菊井戸」が、有名な怪談「播州皿屋敷」に出てくる井戸だと言われています。
「浄瑠璃・播州皿屋敷」「播州皿屋敷実録」などあり、内容が多少異なりますが、青山鉄山の企みに巻き込まれたお菊が、理不尽にも命を奪われて井戸に投げ込まれます。それから毎夜、井戸から「1枚、2枚…」と皿を数える悲しげなお菊の声が聞こてくるようになります。お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています。

姫路城と宮本武蔵の伝説

妖怪退治

大天守最上階の刑部神社

wikipediaより―著作権者:Corpse Reviverさん

木下家定が城主であった時代、城に妖怪が出るという噂が広まっていました。その頃、姫路に立ち寄り、「滝本又三郎」と名乗って足軽奉公をしていた宮本武蔵。武蔵が平気で夜の出番を勤めていたことが家老の耳に入り、名高い武芸者であることが知られたのです。
そして木下家の客分にとりたてられた武蔵に、妖怪退治の命が下りました。武蔵がある夜、灯ひとつで天守閣に登り、3階の階段に差し掛かった時、凄まじい炎と地震のような轟音と地響きが起こります。武蔵が腰の太刀に手をかけると、辺りはまた元の静けさに戻ります。4階でも同じ状況になりましたが、武蔵は構わず天守を登り、明け方まで番をします。そこへ美しい姫が現れ、「われこそは当城の守護神、刑部明神なり。その方がこよい参りしため、妖怪は恐れて退散したり。よって褒美にこの宝剣を取らす。」といって姿を消しました。武蔵の前には白木の箱に入った郷義弘の名刀が残されていたということです。
今も姫路城天守の最上階には、刑部大神を祭った刑部神社があります。

開かずの間

大天守3階から4階へと続く階段の下にある小部屋「開かずの間」は、吉川英治の小説「宮本武蔵」では、武蔵が姫路城の天守に3年間幽閉され精神修養をした部屋とされていますが、これは創作とされており、本来は倉庫として使われていた可能性が高いようです。小説での池田輝政との関わりも創作とされていますが、藩主の本多忠刻とは関わりがあったようです。

長壁姫(おさかべひめ・刑部姫)

人間を嫌い、姫路城の天守に隠れ住んで、年に1度だけ城主と会い、城の運命を告げていたという女性の妖怪です。住処に人間が立ち入ると、1丈(約3m)もの背丈に巨大化して追い払ったといいます。長壁姫の正体は諸説あり、老いたキツネという説、井上内親王が義理の息子である他部親王との間に産んだ不義の子説、伏見天皇が寵愛した女房の霊説、姫路城のある姫山の神という説もあります。―wikipediaより
既述の宮本武蔵の伝説でも刑部明神が美しい姫として現れますので、関連性をうかがわせます。

お夏清十郎

有名な文学作品「お夏清十郎」は、播姫路で実際に起きた駆落ち事件が元になっています。
室津の造り酒屋で何不自由なく育った清十郎は、訳あって、19歳の時に姫路本町の米問屋但馬屋に奉公に出ます。そしてそこの娘であるお夏と恋に落ちます。許される恋ではなかった2人は駆け落ちしますが、すぐに捕えられてしまいます。清十郎は盗みの濡れ衣を着せられ、25歳の若さで打ち首となり、その悲しみのあまり発狂したお夏は、清十郎の姿を求めて町をさまよい歩くのでした…。この物語は、井原西鶴、近松門左衛門の小説や戯曲などで全国に広く知られるようになりました。悲劇の2人の霊をなぐさめる比翼塚が、今も野里の慶雲寺にあります。

「姫路」という名の由来

「姫路」の名は「播磨国風土記」に出てくる「姫山」(姫路城がある場所)の古名「日女道丘(ひめじおか)」が由来です。
播磨国風土記の説話では、大汝命(おおなむちのみこと)が、その子である火明命(ほあかりのみこと)があまりに乱暴者であることを憂い、海に捨ててしまおうと考えます。そして因達神山に火明命を置き去りにして船を出しますが、それに気づいた火明命が激怒して風波を立たせ、船を転覆させてしまうのです。転覆した船や積み荷などが流れ着いた場所に、それぞれに因んだ14丘の名が付けられ、その1つ、蚕子(ひめこ:蚕(かいこ))の流れ着いたところが「日女道丘」と付けられました。
それが現在姫路城のある「姫山」であるとされています(「蚕子」は古語で「ひめじ」と読みました)。
地名としての「姫路」という呼び方は、江戸時代初期、池田輝政が姫路城を築いて城下町を整備した当時の文献に見られるそうです。

白鷺城と呼ばれる由来

別名「白鷺城」と呼ばれる由来には諸説あり、黒壁で烏城(うじょう)と呼ばれる岡山城に対してという説、白漆喰で塗られた城壁の美しさからという説、この地域にゴイサギなどの白鷺と称される鳥が多く住んでいたからという説、姫路城天守が鷺山(姫山は桜が多く咲いたことから「桜木山」と呼ばれ、転じて「鷺山(さぎやま)」)に置かれていることからという説、姫路城が白鷺の飛ぶ姿に見えるためという説などがあります。
平成の大修理を終え、真っ白に輝く姫路城は、まさに「白鷺城」ではないでしょうか。

抜け穴伝説

昔からお城には秘密の抜け穴があるという伝説がつきものです。姫路城も例外ではなく、有力候補であったお菊井戸や、姫山北部の姫山原生林、その他も含めて何度も調査されたようですが、結果、発見されていません。
しかし、濠の中に水面下に隠された堤があり、この堤の上をたどれば歩いて濠を渡ることが可能であったり、一見、菱の門からまっすぐ「いの門」「ろの門」「はの門」の順に進むのが天守との近道のようですが、実は菱の門から三国濠の脇を右手に進んで石垣の中に隠された穴門である「るの門」から進むほうが近かったり、このような非常の場合の間道としての工夫は随所に見られます。

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